【 8/6 】原爆投下に想う

本日は広島に原爆が「落とされた」日。
まずは亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

さて。

広島に落とされた原爆はウラン型。
戦時中は各国が原爆の開発を進めていた。
日本も例外ではなく、ほとんど完成されていた。

当時ほとんどの国がプルトニウム型での開発を研究している中、ウラン型で開発を進めていたのがドイツ。
当時の開発競争で実は一歩遅れていたのが米国だった。
プルトニウム型の開発であっぷあっぷだった米国にウラン型まで開発する余裕があったのか。
各国がプルトニウム型とウラン型のいずれかを研究するのが精一杯だった。

そうすると、米国に両方を研究する余裕がましてなかったことが分かるだろう。

それなのに、史実では一番早く実用化したことになり、さらには両方の原爆を投下できた米国。
なんと不思議なことだろう。

こういうところに世界史の裏面史が潜む。

また、原爆を「投下した」ことになっている米国の乗組員は、原爆投下についての真相は100年経っても日本人はわからないだろう、と述べたという話もある。
つまり、原爆については各国がまだ公にしていない秘密が多々あるということ。

日本に「投下された」ことになっている原爆については、すでにいろいろな話がある。
それらが真実かどうかはわからない。
わかることは、我々が通常聞かされている原爆の話がどうやら違うらしいということだけだ。

また落とされた場所がなぜ広島と長崎だったのか。
米国が本当に日本憎しで、早急に戦争を終わらせたいと考えていたのなら、東京近郊で落としてその威力を昭和帝や他の軍関係者に見せつければ良かったのでは、というようにも思える。

それがなぜか広島や長崎。
長崎にいたってはなぜか浦上天主堂の「上」。
当時のバチカンはナチス側で、ナチス関係者の海外逃亡のためにパスポートを出していたのがバチカン。
バチカンはナチスの反ユダヤ教を支持していたとされる。
その線で考えれば少しは長崎の理由は見出せるかもしれないが、それでも全く不十分。

では、広島はとなった時には妥当な答えが分からない。
日本残留の陸軍の主力が広島にあったとされる。
戦況不利でも徹底抗戦を叫ぶ陸軍にとって、広島での打撃はそれなりに大きかったかもしれない。

広島市の近くには軍港呉があり、長崎も港町。
当時の港湾都市には港湾労働者がいた。
彼らの多くの素性は知る人は知っている。

港湾や工場や炭鉱などにいて、戦後は一部の人々がなぜか戦勝国人などと騒いで日本国民を排撃し、駅前などの土地を不法占拠するなどやっている。
結果から見ると敵性外国人の素養があった人々。
他に「投下」予定があったとして名前が挙がる小倉、京都、新潟も同じような共通点がある。

原爆については、まだ我々が知らない裏事情が多々ありそうなことだけはわかる。
しかし、その実態は分からない。
いずれ明らかにされる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。

ただ、國體ワンワールド史観を学んでいれば、どのような顛末を聞いたとしても驚かないし、何か恨みや怒りがこみ上げてくることもない。
全ては人間、ひいては森羅万象の理の中で起こされた必然だと思うので。

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