【 つれづれ 】 米国大統領選が浮き彫りにするもの
米国大統領選挙のゆくえはいまだにわかりません。
大統領選挙に絡む現在の米国の真の姿についての「中立」の情報は、日本ではなかなか目にできません。
ネットを中心に情報収集するしかないのが現状です。
もしくは、米国の報道を衛星テレビなど何かしらで観るでしょうか。
もちろん、米国の報道でも選ばなければなりません。
民主寄りの報道しかしないメディアが多数だからです。
民主を支持する国際金融連合(通称:ユダヤ、ユダ金、DS など)が背後にいる米国メディアを参考にしても意味がありません。
日本のメディアも多くはこれらのメディアの情報を右から左に流す形で、そのまま垂れ流しているに過ぎないので、同じく意味がありません。
また、かといって、トランプ寄りのネット情報をそのまま鵜呑みにもできません。
選挙で不正があったのは確実でしょう。
これは今回に始まったことではありません。
しかし、今回は何かが違うということを感覚的にでもわかっていることが重要です。
シナの話が絡んでくるなどもありますが、今回の大統領選は特殊です。
色々な前提や感覚を持った上で、今回の大統領選挙を眺めておく必要があることだけは確かです。
トランプが「不正だ!」と言って騒いでいるのは、これまでの「下品な」トランプだからこそ、なんて思って眺めている日本の(自称)エリートが、真の情報弱者です。
米国でもこのような考えの人々は大勢いるのでしょうかね。いるのでしょうね、きっと。
とはいうものの。
米国大統領選を通じて現在痛感していることが、今回書きたかったことです。
今回の大統領選が特別なものになる、ということを知っていても、結局は「正しい」情報を大衆に対して「ノーマル」に伝えてくれる報道機関がないということです。
そして、それがない限り、我々大衆は情報弱者でしかないということです。
結局は、米国在住の日本人の色眼鏡がない情報が必要であったり、国際関係の情報をなるべく偏らずに伝えている識者の情報が必要であったりという状態です。
こういう「特殊」な情報の収集方法をしなければならず、情報について相対的な格差が生まれすぎると、大衆が「正しい」共通認識を持ち得ないので、議論がかみ合わなくなります。
つまり、何が言いたいかというと、情報に大衆が操作されることは、第二次大戦の時と変わっていないということです。
これだけ情報化社会になったと言っても、「一次」情報を発信しているとされている機関や人間に依存することは変わりなく、彼らの「一次」情報が「正しい」「一次」情報でなければ、情報化社会であっても意味がありません。
結局誰かに依存しないと情報は得られるものではありません。
依存する先が限られていますが、通常依存する大手メディアが依存するに足りる社会的分業の責務を全うせず、誰かの利益のために偏向した報道をしていたら、大衆は第二次大戦の時と変わらないということになります。
今回の米国大統領選挙で改めて痛感しています。
残念でなりません。
もっと、皆が皆のために気持ちよく真に正しい社会的分業を担う社会になるといいなとつくづく思います。
0コメント